6月6日に開催された株式会社共同通信社主宰の「きさらぎ会」での講演で、日本銀行の黒田総裁の「家計の値上げ許容度は高まっている」発言が波紋を広げています。Twitterでは「#値上げ受け入れてません」のハッシュタグがトレンド入りするなど炎上しました。黒田総裁は翌6月7日午前、自身の発言について参院財政金融委員会で釈明に追われ、夕方には「誤解を招いた表現で申し訳ないと思っている」と首相官邸で記者団に謝罪しました。黒田発言をミスリードするマスコミとネットメディアでもネットでも、「家計の値上げ許容度は高まっている」だけをクローズアップしていますが、これもよくある切り取り(クォータブルコメント)といえます。きさらぎ会での講演内容については、日本銀行のサイトで「金融政策の考え方─「物価安定の目標」の持続的・安定的な実現に向けて─きさらぎ会における講演」として全文公開されているほか、講演で示されたデータの図表入りPDFもダウンロードできます。問題の発言は、前振りとして「2%の『物価安定の目標』の持続的・安定的な実現に向けて」で日米欧のコロナ禍における物価変動の違いを延べた後、賃金上昇の重要性を指摘するその冒頭でまず出てきます。日本企業は「値札を変えない」ことが最適な価格設定行動となって久しく、この状況を変えるポイントは賃金の上昇とし、全ての企業が直面する労働コストを上昇させ、サービス価格も含め毎年値上げが行われる状況を創り出すとともに、賃金所得の増加により消費者の値上げ許容度も高めることです。と「値上げ許容度」という言葉が登場しています。そして、それに続く「インフレ予想にみられる変化の胎動」の中での企業の価格設定スタンスが積極化している中で、日本の家計の値上げ許容度も高まってきていると発言した部分が切り取られています。そして、締めくくりで強制貯蓄の存在等により、日本の家計が値上げを受け容れている間に、良好なマクロ経済環境を出来るだけ維持し、これを来年度以降のベースアップを含めた賃金の本格上昇にいかに繋げていけるかが、当面のポイントであると考えています。と「日本の家計が値上げを受け入れている」の部分がネットで反感を買うことになりました。重要なのは賃金の上昇に結びつけること会員向けの講演とはいえ、こうして講演内容が公開もされていますし、今はオフレコの場で発言しても漏れる時代です。「家計の値上げ許容度」や「値上げを受け入れている」という言葉の選び方が不適切だった事は否めません。「コロナ禍中の強制貯蓄や新しい生活スタイルで支出頻度が抑えられている間に、値上げだけでなく賃上げを同時に進める」、などとしていれば問題は無かったのでしょう。講演の主旨は、来年度以降の賃金の本格上昇に繋げるためには、サービス価格も含め毎年値上げが行われる状況を創り出すことであり、価格の上昇が賃金の上昇に結びつくまでのタイムラグを強制貯蓄でカバーできるこの時を有効に使うべきだということではないでしょうか。値上げに賃金上昇が伴わないと国民はインフレに苦しむだけです。OECD加盟国の2020年の平均賃金は49,165ドルで日本は38,515ドル。1位のアメリカは69,392ドルで日本の約1.8倍です。コロナ禍後の好景気で賃金上昇が更に進んだ各国と、円安が進んでドル換算では目減りした今の日本とでは更に差が付いているはずです。日本のGDPの半分以上は個人消費支出。収入が増えないと支出は増えません。バブル後の30年は賃金が上がらない→収入が増えないので支出も増えない→GDPも横ばいが続いています。この30年で諸外国はGDPを伸ばし、賃金も物価も上がっています。かつて物価も人件費も高い国だった日本は今や物価も賃金も安い国になっているのです。物価高、みんなで上げれば怖くない?コロナ禍後の世界的な景気回復と半導体不足や物流の混乱に伴う需要と供給の不均衡、ロシアのウクライナ侵攻によるエネルギーや食料資源の高騰、円安に伴う輸入価格の上昇と、あらゆる物の仕入れ価格が上昇しています。仕入れがない業種でも、電気やガス料金なども上がっています。値上げによる販売低迷(乗り換え)を避けるために値上げを避けてきた企業も耐えられなくなり、4月以降堰を切ったように小売価格やサービス価格の改定を発表、店頭価格も徐々に上昇しています。帝国データバンクの「食品主要105社」価格改定動向調査(6月)では、今年に入って値上げした、または値上げが決まっている物は1万品目を超えています。加工食品の平均値上げ率は14%で、年内の再値上げ・再再値上げといった動きが前例にないペースで進む可能性が高いとしています。このまま物価の上昇が治まらないと、これに続くのが賃上げ要求です。長引く景気低迷の間は物価もほぼ変動なく、労組の要求は賃上げよりも雇用維持に重きを置いた時期が長く続き、ここ数年は平均すると2%前後の賃上げ(連合2022春闘回答集より)でした。しかしこのまま消費者物価の上昇が続くと、来年の春闘では物価上昇に相当する賃上げが求められることになるでしょう。コロナ禍が落ち着き飲食業や観光業もコロナ禍前の体勢に戻そうと準備が進んでいますが、人手不足から今度は以前よりも時給を上げないとパート・アルバイトや派遣などの非正規雇用者も集まらない状況だといいます。アメリカではamazonなどで新たな労働組合の設立が相次いでいますが、日本でもamazonの配達員が「アマゾン配達員組合」を結成するなど働き方や賃金についての改善要求はいっそう強まっています。優秀な人材を採用し、確保するためにも適正な価格でビジネスをして利益を確保しないと給与も支払えませんし、賃上げ要求にも応えられません。顧客が離れるリスクを承知で従業員の賃金を改善できる値上げを行うか、値上げせずあるいは値上げ幅を抑えて引き続き自社と従業員に負担を課し続けるか。イヤイヤでも値上げを受け入れ家計のやりくりで対応できている今であれば、賃上げに繋げる価格改定が可能ではないでしょうか。このまま物価だけが上がり賃金上昇に結びつかなければ、景気は上向かずスタグフレーションまっしぐらです。