2023年度から人的資本情報の開示が義務付けられる予定です。人的資本とは、「人材」の持つスキルや能力などを「資本」と見なし、投資の対象とする考え方です。中長期的に企業価値の向上へとつなぐ経営のあり方として注目されています。2018年12月に国際標準化機構(ISO)が人的資本に関する情報開示のガイドラインISO30414を発表。日本では2022年8月に政府が「人的資本可視化指針」を発表し、2023年4月には人的資本の情報開示の義務化が予定されています。こうした流れを受けて政府も人材育成の支援に乗り出しており、2022年10月3日には岸田文雄首相が衆院本会議の所信表明演説の中で、個人のリスキリング(学び直し)の支援に5年で1兆円を投じると表明しました。人的資本を投資の対象と考えると、株式を公開する上場企業だけに関係する内容と思ってしまいますが、現状では非上場企業もこの指標に注視しており、特に人材採用や従業員エンゲージメントといった面で注目されています。今後、企業が人材をいかに重視し、利益を生む資本と考えているかを示す指標となることが予想されます。非上場企業も高い関心を示す人的資本情報の開示2022年3月にパーソル総合研究所は、上場企業・非上場企業の役員と人事部長に対する「人的資本情報開示に関する実態調査」を実施しました。その中で人的資本情報や開示に関して、社内で議論しているかを聞いたところ、取締役会や経営会議の場では上場企業56.1%に対して非上場企業40.2%が実施。人事部門内では上場企業63.7%に対して非上場企業50.0%が実施と、非上場企業でも高い関心を示していることがわかりました。こうした動きからは世の中の流れに遅れをとらないという意志と同時に、これからの人的資本開示がもたらす恩恵への期待も感じられます。人的資本情報の開示に関して重視している要素についても聞いており、内部要素で関心が高かったものは上位から「優秀人材の採用実績の増加」80.3%、「役員層の意識改革」77.1%、「従業員エンゲージメントの向上」75.8%、「新卒採用エントリー数の増加」75.2%でした。人材の獲得や従業員エンゲージメントの向上といった内的要素を重視する企業が多くなっています。また、こうした人的資本の情報開示は、スタートアップ企業においても重要な情報になる可能性があります。まだ、外部向けに信頼すべき情報が少ないスタートアップ企業において、人的資本に関する情報は顧客や金融機関から信頼を得られる貴重な情報です。また、少数精鋭で起業するケースが多いスタートアップ企業では、人材にどのように対峙し、投資しているかという情報は、優秀な人材を迎え入れるためにも提供が欠かせない情報といえるでしょう。「リスク管理、価値向上、比較可能性、独自性」の基準で公開では実際に企業ではどのような情報が開示されるのでしょうか。2022年11月28日日本経済新聞記事では、今後の開示内容の方向性として二つの情報が示されています。一つ目は人的資本に関する戦略や指標、目標です。企業には経営戦略と連動した「人材育成方針」や働きやすい職場づくりに関する「社内環境整備方針」の策定などが求められます。二つ目は人材の多様性を測る指標です。女性管理職比率と男性育児休業取得率、男女間賃金格差の三つの指標の開示を新たに求める、としています。これらは女性活躍推進法などですでに一定規模以上の企業に公表が義務付けられている項目です。2022年8月に政府が発表した「人的資本可視化指針」では、次のような開示項目が挙げられています。育成:リーダーシップ、育成、スキル/経験などエンゲージメント:従業員満足度など流動性:離職率、採用・離職コスト、人材確保・定着の取り組み例などダイバーシティ:男女間の給与の差、育児休暇後の復職率・定着率、男女別育児休暇取得社員数など健康・安全:労働災害の種類や発生件数、医療・ヘルスケアサービスの利用促進、ニアミス発生率などコンプライアンス・労働慣行:深刻な人権侵害の件数、苦情の件数、業務停止件数、差別事例の件数・対応措置など情報開示ではこうした項目について、「リスク管理、価値向上、比較可能性、独自性」の基準で整理、開示することが推奨されています。項目の中で「リスク管理」の性質が強いものといえるのは「コンプライアンス・倫理」「組織の安全性・健全性」「多様性」などに関する情報です。ただし、現状の人的資本の情報開示はまだスタート地点であり、今後、より企業実態を示す内容に変更されていく可能性があります。人材育成が企業利益につながる道筋を見つけられるかでは企業は人的資本経営にどのような課題を感じているのでしょう。リクルートが2021年10月に企業人事に行った人的資本経営に関するアンケート調査で、「人的資本経営を実践していく上での課題」を聞いたところ、上位から「従業員のスキル・能力の情報把握とデータ化」54.5%、「従業員の学びなおし・スキルのアップデートへの投資」39.3%、「次世代経営人材の育成」34.5%、「経営陣の意識変革やコミットメント」31.6%、「組織文化の変革」30.6%でした。「従業員のスキル・能力の情報把握とデータ化」は過半数を超えており、自社の人的資本の状況把握やデータ化がまだできていないという企業が多いことがうかがえます。また、「従業員の学びなおし・スキルのアップデートへの投資」がそれに続き、教育投資がこれまで十分に行われてこなかった状況がうかがえます。これから人的資本の開示に取り組む企業では、開示する項目を選定し、それに合わせたデータの収集の実施と、開示を行うサイクルの決定が求められます。より効果的な情報開示を目指すには、経営戦略と人材戦略を踏まえたKPI(Key Performance Indicator、重要業績評価指標)または何らかの目標を設定して、PDCAサイクル(Plan:計画→Do:実行→Check:評価→Action:改善のサイクル)をもとに改善していくことが求められるでしょう。人的資本経営の基本は、投資対象である人材に対しての教育投資を増やすことであり、そのうえで、教育を行った人材の活用方法も検討していかなければなりません。人的資本経営は、ただ社員を大事にする企業になるためではなく、あくまでも人材が経営に活かされ、企業利益に貢献することが前提とされています。これから企業においては、人材育成が利益につながる道筋を見つけられるか、また、そうした人材育成のサイクルをつくれるかが問われることになります。