7月21日にアメリカなどで同日公開となったハリウッド映画「バービー」(日本では8月11日公開)と「オッペンハイマー」(日本での公開日未定)。「バービー」はポップなコメディー、「オッペンハイマー」は原爆の開発者ロバート・オッペンハイマーの生涯を描いたシリアスな歴史映画という対照的な2本。この話題作を2本立てのように続けて観ようという運動が、「Barbenheimer(バーベンハイマー)」(BarbieとOppenheimerを組み合わせた造語)としてアメリカで盛り上がりました。暗い話題ばかりのアメリカ映画界の救世主に?Barbenheimerが盛り上がる背景には、コロナ禍の外出自粛から動画配信で映画を視聴する人が増えて劇場に行く人が減ったことや、ネット配信サービスで制作する映像作品の出演者や制作者への分配に関する不満、更には生成AIに対する危機感から全米映画俳優組合(SAG-AFTRA)と全米脚本家組合(WGA)がストを起こすなど、映画界全体に重い空気が漂っていたこともあります。この盛り上がりに一役買ったのが、トム・クルーズでした。彼は映画界を盛り上げようと、6月28日にThis summer is full of amazing movies to see in theaters.Congratulations, Harrison Ford, on 40 years of Indy and one of the most iconic characters in history.I love a double feature, and it doesn't get more explosive (or more pink) than one with Oppenheimer and Barbie.とツイートしたのです。Twitter(現X)上ではハッシュタグをつけて両作品を見ることを勧める動きが広がりました。ストのおかげで、出演俳優が登場するプロモーションなども実施できなくなっていたので、この盛り上がりは映画の配給会社にとっては救いの神に思えたでしょう。ネットの悪乗りの炎上に配給元が配慮に欠けた反応2本の映画を観ようという運動がBarbenheimerという造語に置き換わったことで、それを視覚化(2つの映画のビジュアルの合体や加工)して投稿する動きが広がってきました。ネットでの盛り上がりには、はしゃぎすぎた末の炎上やトラブルがつきもの。冒頭にも書いたように、コメディーと実話を元にしたシリアスな映画という全く対照的なものを合体させるには無理が生じます。しかも、公開前では「オッペンハイマー」の映画で伝えたかった制作者の意図を深く考えることもなく、ただ「ウケ狙い」で宣伝素材などから画像を合成して投稿する者も出てきます。X(旧Twitter)を「Barbenheimer」で検索すると様々な画像が見つかります。それらの中に、オッペンハイマーがバービーを肩に乗せ、背後で大爆発が起きている画像やバービーに原爆のキノコ雲をコラージュしたり髪の毛がキノコ雲のようになっていたりと、原爆を「ネタ」にしたような画像も多く投稿されました。そのような投稿に対して、「バービー」の米公式アカウントが投げキスの絵文字を付けて「It’s going to be a summer to remember.(忘れられない夏になる)」などと好意的なコメントを返信していたというのです(この投稿は既に削除されて見られません)。遅すぎて中途半端な配給元の対応これに対して、被爆国の日本人ユーザーが反応します。日本のXユーザーはハッシュタグ「#NoBarbenheimer」を使い、「原爆で遊ぶな」「バービー絶対見ない」「失望した」などと怒りをあらわにします。広島(8月6日)・長崎(8月9日)の原爆の日平和記念式典を間近にした日本の多くのマスメディアもこれを報じることになります。日本での公開は8月11日です。7月31日、日本のワーナー・ブラザース・ジャパンはXの「バービー」日本公式アカウントを通じて謝罪すると共に、「アメリカ本社の公式アカウントの配慮に欠けた反応は、極めて遺憾なものと考えております。この事態を重く受け止め、アメリカ本社に然るべき対応を求めています」とのお詫びと声明を発表しました。翌8月1日(現地時間7月31日)には本国のワーナー・ブラザーズが全世界のプレス向けに「Warner Brothers regrets its recent insensitive social media engagement. The studio offers a sincere apology.(ワーナー ブラザーズは、最近の無神経なソーシャルメディアへの関与を遺憾に思っています。スタジオとして心よりお詫び申し上げます)」と声明を発表することになりました。このワーナー・ブラザーズ本社の発表は、THE RIVERのニュースレターによると、日本では8月1日14時台、時差があるのでアメリカ(西海岸)では前日夜の22時台、イギリスでは朝の6時台にほぼ同時に行われたようです。しかも日本では、当日行われたグレタ・ガーウィグ監督来日会見の現場に来ていた記者に対し、“紙”で配布されたということです。日本でのこの配布を第一に考えてタイミングを決めたと思われます。しかし、本国でも日本でも、公式サイトにリリースあるいは謝罪の声明文などは掲載していないようです(私が確認した限りでは見つけることができませんでした)。(映画やエンタテインメント関連の)限られたメディアとSNSのみを対象に発信するに留めたようです。公式な謝罪と受け止められなかったのか、今でもXでは「#NoBarbenheimer」のハッシュタグを付けた投稿は続いています(8月21日現在)。SNSの運用と海外展開には落とし穴や地雷に要注意安易な「いいね」やリツイートが問題になった例としては、伊東詩織さんの訴訟が思い出されます。伊藤詩織さんが、ホテルで準強姦被害を受けたとして民事訴訟を起こして係争した際にはTwitter上で誹謗中傷する者も多く、伊藤さんは複数の投稿者を名誉棄損罪などで提訴しました。投稿者だけでなくリツイートした2人の男性に対しても損害賠償と当該ツイートの削除などを請求して提訴。結果、リツイートした2名にも賠償を命じる判決が下されました。また、伊藤さんを中傷する多数のツイートに対し「いいね!ボタン」を押した自由民主党杉田水脈衆議院議員に対しても、名誉感情を傷つけられたとして損害賠償を請求して提訴。この訴えに対しても東京高等裁判所は伊藤さんの主張を認め、杉田議員に55万円の支払いを命じました。会社やブランドの公式アカウントを特定の若い担当者や外部の協力スタッフに丸投げをしノーチェックの運用をしていると、思わぬ所で今回の「バービー」のような失敗をしないとも限りません。特にグローバルに展開するブランドや商品を扱う場合には、それぞれの国の歴史や文化、宗教などを背景とするタブーが多く存在します。「バービー」はSNSの対応で日本で避難を浴びていますが、一方の「オッペンハイマー」も、ある場面でヒンズー教聖典を不適切に引用し非難が殺到、インドのXでは「#BoycottOppenheimer(オッペンハイマーをボイコットしよう)」というハッシュタグがトレンド入りしたとAFPが報じています。SNSにしても印刷物や動画にしても、外に向かって発信する前にはそれを受け取るステークホルダーへの想像力が必要です。受手・当事者の立場に立った想像力と配慮がリスク回避に繋がります。