リスクを考える ─「専門家まかせ」からの脱却吉川 肇子 著 2022年6月9日発行ISBN 978-4-480-07489-8 946円(税込) 筑摩書房なぜ危機を伝える言葉は人々に響かず、平静を呼びかけるメッセージがかえって混乱を招くのか。コミュニケーションの視点からリスクと共に生きるすべを考える。(筑摩書房 公式サイトより)マイナンバーカードの相次ぐトラブル、ビックモーターの不正請求、神宮外苑の再開発問題、ジャニーズ事務所の性加害問題。最近の社会的な注目を集める大きな問題をはじめ、児童の自殺問題と対応に追われる全国の教育委員会、繰り返される政治家の失言など、今日では企業や行政、学校、芸能事務所に至るまで、さまざまな組織体において多発するさまざまなリスクについて考えることは、もはや避けて通ることができない喫緊の最重要課題となっています。社会に増え続ける多様なリスク。本書は、それをどのように理解し、評価して減らしながら、適切なコミュニケーションを実行するべきなのかについて考え、知るための最適な1冊となっています。著者は、組織心理学、社会心理学専攻の研究者で慶應義塾大学の教授。当初は、謝罪や言い訳の研究(「印象管理」という)をしていましたが、1985年ごろリスク・コミュニケーションという新しい分野があることを知り、その後は一貫してこの分野の研究を取り組んでいるリスク・コミュニケーションの専門家です。リスク管理は企業や行政、専門家などのほうが一般市民に比べてそれに対する情報や知識を多く持っていると考えがちですが、そうした人たちに安易に任せることは避けるべきで、そうした関係者と一般市民が情報交換できる仕組みこそが重要で、それについてのコミュニケーション能力と技術が不可欠だと述べています。専門家だけのものではないリスク・コミュニケーションリスクというと普通に生活をしている人々には関係ないように思われがちですが、リスクにもさまざまな位相があります。個人的リスクでは生命保険、医療におけるインフォームドコンセントやセカンドオピニオン、家電製品の「使用上の注意」、洗剤を移用するとき「まぜるな危険」、「換気の必要性」、たばこのパッケージに記載されている健康への警告文、食品の添加物について表示されているアレルギー反応への注意喚起など、私たちの生活や身の回りにあるもの。社会的リスクではLGBTQやジェンダー問題、人権や人種への差別的な言動、国家的リスクにおいてはエネルギー政策における原発問題、世界的リスクは地球温暖化とC02削減など、これらはみなすべて私たちすべてにかかわりのあるリスク・コミュニケーションです。例えば、喫煙そのものは個人的なリスクの問題ですが、受動喫煙による健康被害は社会的リスクの問題になることは誰にでも理解できるでしょう。また今日では、土砂災害や河川の氾濫などによるハザードマップが公開されるようになりました。以前は公開されませんでした。地下の下落や土地が売れなくなるという理由があったからです。しかし現在では、不動産取引の際には説明義務が課されるようになりました。これは情報公開や説明責任を果たすことが、社会的な制度として実現されるようになったからです。食品のアレルギー表示やハザードマップ公表は、情報の透明性(公開や明示など)を確保しない怠慢であるとみなされます。CSRやアカウンタビリティなど、あらゆるリスクについて情報を公開して人々に伝える義務と責任が、企業や行政などを含めたすべての組織体に求められています。なにかについてそのリスクを説明するあるいは情報としてきちんと知らせるまたは伝えることすべてが、リスク・コミュニケーションに関わることだと認識すべきことがわかります。リスクとクライシスの違い―正しい理解のために著者は、リスク分析について下記の3つの要素があることを指摘しています。(1)リスク評価(2)リスク管理(3)リスク・コミュニケーション一般的には、(1)→(2)→(3)というように考えるでしょうが、(3)はほかのすべてのプロセスでかかわるという認識が持つべきだとしています。また著書が繰り返し指摘していることですが、リスク・コミュニケーションとクライシス・コミュニケーションは一般的に混同されています。この2つは関連があっても異なるものです。私たちがよく目にする企業や行政などが謝罪や釈明のために会見するのは、リスク・コミュニケーションではなくクライシス・コミュニケーションです。リスクは望ましくないことが起きる可能性(危険や警戒すべき事案など)。クライシスは、それらが顕在化した状態のことです。この2つには人為的なこと、自然力によるものなどを問いません。危機管理は、英語ではCrisis Managementといいます。マイナンバーカードの次々に発覚する問題は、それについて可能性を伝えなかったのはリスク・コミュニケーションが不足していたからで、問題が発覚後に対応に追われているのがクライシス・コミュニケーションです。こうも言い換えられます。前者は事前対応または先手、後者は事後対応または後手ということが大きな違いです。例えば、新型コロナの予防接種を受けるのはリスク管理です。しかし、それでも感染してしまう人たちがいます。感染したときは病院に行き、他者に感染させないように自宅療養するのはクライシス管理だといえばわかりやすいでしょう。また、予防接種の副反応が発症するのはリスク管理、副反応が出てしまったときの対応はクライシス管理です。著者は、下記のように述べています。“リスク・コミュニケーションは、民主的な社会において、リスクをどのように社会で管理していくかについて、情報を交換しつつ、意思決定していくものである。”謝罪と言い訳の混同政治家の失言が、繰り返しメディアで報道されます。そうした謝罪会見では「世間をお騒がせして」、「みなさまに誤解を与えたとすれば」、「気分を害された人がいたのであれば」などの言葉のあとに「お詫びいたします」や「大変申しわけありません」などの言葉が続きます。しかし著者によれば、これらは本人が責任を認めているわけではないと指摘しています。つまり、本来は誤解を与えるような言葉や表現によるコミュニケーション主体の問題であるにもかかわらず、そのように受け取る一部の人たちがいることに問題があるかのように責任転嫁しているにすぎないと。福島原発処理水による風評被害という言葉も同様で、科学的に安全なことを明示しているとはいえ処理水を放出する側の責任とそれについての説明責任であるはずなのですが、そうしたうわさや風聞を信じて魚介類を買わない側に問題があるかのような印象を与え、本質的な問題の所在を曖昧することになると著者は述べています。リスク・コミュニケーションについて考えるための入門書本書は、リスクそのものをどう理解するかということ、リスクとクライシスの違いと連関、それに対して取るべき姿勢や態度とそれにともなうコミュニケーションについて、企業や行政などの組織の担当者だけではなく、一般の人たちにとってもリスク・コミュニケーションについて考えあるいは啓発するための著書で、それがリスクに関するほかの類書とは異なる特長となっています。数多くの事例を交えながら、わかりやすい言葉で理路整然とした文章で著されています。第4章「リスクを伝えるII 技術論」は社会心理学用語を使って説明していますので、そこはやや専門的になっているのは著書が大学の教授だということもあります。著者がもっとも伝えたいこと、考え方や姿勢(理念や立場)、第6章、第7章に述べられています。リスク・コミュニケーションは、一握りに人たちだけが情報をもち、ほかの人たちが参加していない状況はリスク・コミュニケーションとはいえないと。ヒューレット・パッカード(HP)創業者のひとりデイヴィッド・パッカードの有名な言葉 “マーケティング部門に任せておくには、マーケティングは重要過ぎる” という名言あります。それに倣えばリスクについても同様で、 “リスク部門に任せておくには、リスクは重要過ぎる” と同様なことがいえることを、私たちは認識すべき時代であることを理解するのに必要なエッセンスが、230ページほどの新書版という手軽さに詰まっている著書です。リスクを考える ─「専門家まかせ」からの脱却吉川 肇子 著 2022年6月9日発行ISBN 978-4-480-07489-8 946円(税込) 筑摩書房本の目次第1章 リスクを知る第2章 リスクを伝える1 基礎編第3章 リスクを認知する第4章 リスクを伝える2 技術編第5章 リスクを管理する第6章 リスクについて話し合う第7章 リスクを共有する