10月7日、パレスチナ自治区のガザ地区を実効支配するイスラム原理主義組織ハマスとイスラエルの軍事衝突が始まりました。この衝突でガザやイスラエルの住民や駐在員とその家族、外国人観光客などの多くの人々が人道的な危機に晒されています。また、人だけではなくパレスチナ自治区やイスラエルとその周辺国に存在する企業も、事業継続や従業員の人命の確保など、カントリーリスクの発現への早期対応が迫られる状況となりました。日本貿易振興機構(ジェトロ)によれば、10月15日時点で、在イスラエル日本商工会に加入する日系企業のうち、約半数の13社が全員を日本に退避させたほか、1人以上を第三国に退避させている企業は約4割の9社となっています。ハマスとイスラエルの軍事衝突における日系企業の対応を振り返りながら、改めてカントリーリスクへの対応について見ていきましょう。ハマスとイスラエルの軍事衝突、日系企業の初動対応は2023年10月に入ってから再び大規模な軍事衝突が発生しているイスラエルとパレスチナですが、ハマスによる攻撃が始まってから、日系企業はどのような対応を取ったのでしょうか。帝国データバンクによると、2023年9月末時点でイスラエルに進出している日本企業は約92社で製造業や卸売業、金融・保険業などが中心となっているほか、約半数の企業はサービス拠点や開発拠点として進出しています。進出している地域としては、イスラエルの事実上の首都であるテルアビブが約半数で、戦闘が行われているガザ近隣に進出している企業は確認されていません。在イスラエル日本商工会に加入する日系企業については、今回のハマスとイスラエルの軍事衝突が発生してから、駐在員とその家族をイスラエルの外へ退避させました。退避先はイギリス、オランダ、ドイツ、UAEなどで、特に欧州が統括する企業の傘下にある企業の場合は近隣の欧州諸国に退避するケースがみられました。また、日本人だけでなく現地でスタッフを雇用している20社の企業全てがスタッフの無事を確認しているほか、うち4社は現地スタッフの一部を国外に退避させています。イスラエルの事業所や工場については、20社が業務を継続しており、うち11社は平時と変わらず稼働していることが明らかになっています。原則在宅勤務に切り替えたり一部在宅勤務として事業を継続している企業も確認されています。戦闘が激化し長期化する可能性もある中、10月15日時点では、通常営業を継続する方針を示した在イスラエルの日系企業は11社、現状継続を示した企業は10社となっており、今後情勢の変化によっては在宅勤務への切り替えや更なる退避などの措置が必要となる可能性もあります。カントリーリスクが経済・企業活動に及ぼす影響リスクと政治・環境リスクに分けられており、前者には、企業が現地通貨を外貨に両替することを妨げる為替規制による「兌換リスク」や国外の債権者に資金を移転することを妨げる資本規制による「移転リスク」が含まれています。後者は政変や革命、内乱、戦争、洪水、地震などの不可抗力によるものであると説明されていますが、実務も考慮した場合、経済や政治・環境だけでなく、文化や人権に関わる社会的リスクのほか、法律や知的財産権の保護などの法的リスクも広義のカントリーリスクとして捉えることができます。これらの定義を参照した場合、2023年10月からのハマスとイスラエルの軍事衝突は、カントリーリスクの中でも政治・環境リスクのうちの戦争という位置付けとなっています。カントリーリスクの発現は、財務、金融市場、契約や取引、法的規制、事業運営と事業戦略、人的資源、社会的影響など多岐に渡る領域に大小様々な影響を及ぼします。特に政治・環境リスクのうちの戦争というリスクに着目した場合、財務に関しては、戦争の発生に伴う当事国の通貨価値の急激な変動の可能性があります。通貨の価値が著しく低下した場合、企業や投資家には外国為替に関するリスクが増大するおそれがあるでしょう。また、金融市場に関しても、戦争が発生すると当事国の金融市場が混乱し、株式や債券市場において急激な価格変動が発生するリスクがあり、投資家の立場から考えると、市場リスクを平時よりも慎重に考慮しなければならない状態となります。2023年10月からのハマスとイスラエルの軍事衝突でも財務や金融に関わるリスクが発現しており、シェケルの為替相場は、ハマスが攻撃を開始した翌々日の9日に1ドル=約3.95に急落し直近7年間で最も深刻なシェケル安となるなど、軍事衝突による金融リスクは如実に現れていました。ただ、イスラエル銀行は10月9日に最大300億ドルのドル売りを発表したほか、最大150億ドルの流動性供給の用意があることも明らかにしており、これによって一時大きな通貨安となったシェケルは回復を見せています。契約や取引の場面では、戦争に伴う経済の混乱で信用リスクが増大すること、またそれによる契約締結や債務履行が難しくなることが予想されます。法的規制に関しても、当事国の法的環境は外交状況の変化や戦時体制の発足などを契機として大きく変化することとなり、現地に駐在する企業は法律の変更に迅速かつ的確に対応する必要性が生じます。事業運営と事業戦略については、戦争の発生が市場や政治的安定性に大きな影響を与えます。企業には事業戦略の見直しのほか、新事業の展開や既存事業についての再評価が求められるほか、人的資源に関して、従業員に対する雇用不安や労働市場の混乱に直面する可能性があり、労働者のモラル低下や離職率の上昇が懸念されます。実際、在イスラエルの日系企業においても、現地で採用したスタッフのうち、イスラエル国防軍の予備役として勤務しているスタッフが戦地に赴くなど、戦闘の直接的な影響もみられています。社会的影響については、戦争による社会の不安定化により、企業は従業員だけでなく顧客に対しても安全と安心感を提供するなどの社会的課題への対処が求められる側面があるという点で事業以外にも対応すべき要素が発生する可能性があると考えられるでしょう。カントリーリスクによる影響と地政学との関係カントリーリスクは世界各国に存在していますが、戦争リスクの場合は人命や財産が直接的に危険に晒されることやリスク発現に伴う影響が長期化する可能性があることから、地域情勢が不安定な場所や地政学的リスクを抱えている場所では特に注意を払う必要があります。カントリーリスク発現時における当事国から自国への関係は、主に近隣諸国の関係、自国との経済的な繋がり、国際市場との関係、地政学的要因の4つに分類されます。まず、近隣諸国との関係ですが、カントリーリスクの発現した場所が本国の近隣諸国である場合は、その影響はより直接的で強烈なものとなる可能性があります。両国には経済や情報伝達の相互依存がある場合が多く、ハマスとイスラエルの軍事衝突に関しても、イスラエルの近隣国であるレバノン国境でも交戦がみられているほか、中東とアフリカを繋ぐエジプトにも外国籍避難民がガザから脱出してくるなど、軍事衝突から1ヶ月が経過したところで中東各国に様々な影響が出始めています。また、自国との経済的な繋がりにも注意が必要で、本国と経済的に密接な国でカントリーリスクが発現した場合、連鎖的に本国での経済的な影響も大きくなり、経済的な繋がりが強いほどリスクによる影響の波及も大きくなる可能性があります。次に国際市場との関係ですが、これは、カントリーリスクが発生した場所が地域的な枠を超えて国際的な影響を持つ場合、自国にも大きな影響が発生する可能性が高くなることを意味しています。例えば第二次世界大戦の発生については、1929年のウォール街の大暴落による世界恐慌が要因の一つと考えられることがありますが、これは、国内経済を恐慌の影響から守るための各国による保護貿易政策採用と、各国市民の経済縮小や失業の懸念、経済に対する不安などから国際的な緊張が増大したり極端な政権が台頭したりしたことが関係していると捉えられます。このような歴史が、国際市場との関係を説明する一例となります。そして、地政学的要因はカントリーリスクの影響を考える場合、重点的に考慮すべき事項です。カントリーリスクが発現した場所が地政学的に敵対している地域や大きな地政学リスクを抱えている場所の場合は、本国での政治的圧力や対立が生じる可能性もあります。日本における地政学的カントリーリスクカントリーリスクの一部としても捉えられる地政学は、地理的状況の側面から地域や国家間の政治的要因や相互関係を検討する考え方であり、カントリーリスクと特に密接に関係する要素です。カントリーリスクと地政学の関係については、政治的安定性、法的不確実性、エネルギー供給の安定性、外交関係、紛争、国際協力などが項目として挙げられます。地政学的状況が不安定な場合、政治的混乱や緊張の高まり、法的な規制の増加が考えられます。事業活動や投資を行う上でこれらに直面すると、事業継続性などに懸念が生じるでしょう。また、地政学的な対立によりエネルギー供給の安定性が損なわれた場合、企業活動に大きな影響が出ることは明白です。さらに、外交関係や紛争、国際協力に関しても、地政学的な対立や国家間の敵対関係と協力関係が世界と各国の政治や経済にベネフィットとリスクの双方をもたらす可能性があります。日本における地政学的カントリーリスクを見てみると、おおまかに国際関係と安全保障、エネルギー供給、自然災害、サイバーセキュリティの4点が挙げられます。エネルギー資源の大部分を輸入に頼っていたり、国土が地理的に自然災害のリスクの大きい場所に位置していたり、サイバー攻撃が国内経済や情報インフラに影響する懸念があったりという現状があるなかでも、近年最も注目されているのは国際関係と安全保障に関する事項でしょう。国際関係と安全保障に関しては、中国、韓国、北朝鮮、ロシアといった隣接する国家との領土問題や歴史的な対立とそれに伴う国際法や国際社会との関わり、周辺国での核兵器やミサイル開発の脅威、アメリカとの同盟関係などがカントリーリスクとして捉えられます。現在の日本において強く懸念されている国際関係と安全保障に関わるカントリーリスクとして、台湾有事があります。これは、中国が台湾統一を目的として行う軍事侵攻によるカントリーリスクを指しており、2025年説や2027年説など、台湾有事はそもそも発生するのか、発生するならばいつになるのかというトピックがしばしば話題に上がります。台湾有事が発生した場合の懸念点は、日本人の保護と退避、輸送、経済の主に3方面で多大な影響が出ることが予想されます。まず、世界のどこであっても、有事が発生した際はいかに現地で過ごしている自国民の安全を確保し、早期かつ確実に自国や第三国へ退避するかが大きな課題となります。現地での安全確保や退避については、外務省など政府が対応する側面もありますが、駐在している企業としても、従業員との連絡や安否及び動向の把握、またその情報や現地情勢を元にした事業継続の可否や方向性の判断など、できるだけ早い段階での意思決定が重要となります。人的な影響よりもさらに懸念されるのが、輸送や物流への影響です。台湾には半導体やICT、電子部品、電子機器関連の研究や製造の拠点、レーザー、石油化学、繊維、金属加工などハイテク産業や製造業が集中しており、日本を含め世界各国に精密機器や電子部品等を輸出しています。台湾有事発生時は、中国が制空権と制海権を獲得しようと行動するため、チョークポイントのひとつである台湾海峡における商船や台湾上空における貨物機の運航は不能となる可能性が高くなります。こうなると、国内の製造業や精密機器・電子部品等に関わる企業は新たな材料の調達先を確保していない場合は工場の稼働率を下げたり、停止したりしなければならない状態に陥ります。さらに広い視点で見てみると、中東と日本を繋ぐシーレーンにも影響が出る可能性があります。商船や石油タンカーが通行する日本のシーレーンは、アラビア海からインド洋を航行し、東アジアに入る際に台湾とフィリピンの間にあるバシー海峡を利用します。台湾海峡で発生した有事の影響が台湾全体に及んだ場合、このバシー海峡も民間の商船やタンカーの通過が難しくなるおそれがあるのです。エネルギー資源が調達できなければ、上に挙げた業界だけでなく、より広範囲に事業継続の危機が生じるでしょう。また、台湾有事の際は日米同盟の目的である「アジア太平洋地域の安定と繁栄の維持」を脅かす事態であるため、自衛隊が米軍の支援に回る必要性は十分に予測されます。これによって中国の日本に対する経済制裁が誘発される可能性もあり、部品調達を中国企業に頼っている日本では、経済制裁が課された場合、経済的にも影響を受けると予想されます。地政学的カントリーリスクへの対応帝国データバンクによる調査では、2022年7月時点で中国へ進出している企業は約1万2,700社、台湾へ進出している企業は約3,100社。台湾に進出している企業のうち、台湾と中国の両方に進出している企業は約半数にのぼります。約2万4,000人の海外在留日本人が台湾で過ごしている現在、台湾に拠点を持つ日本企業は、台湾有事というリスクの発現に対して、どのような対応を取ることができるのでしょうか。まずは、現地に駐在している従業員とその家族の人命を守ることが先決です。企業としては、退避経路を確保し、従業員らを退避先へ退避させる機会を見極める必要があります。この場合、退避経路は軍事衝突や交通の封鎖などにおける複数パターンを予測した上で確保するなど、冗長性のある退避計画が重要となります。ただ、有事発生の際には退避経路の使用不能や、発生とともに非常に緊迫した状況が続くことによって現地から身動きが取れなくなる可能性にも備えて、現地の拠点や住居、退避経路付近のシェルターの位置も把握しておくことも必要です。台湾は島であり海に囲まれているため、退避する際の移動手段は船舶か航空機となります。ただ、先に述べたように台湾有事発生時は、中国が制空権と制海権を獲得しようと行動するため有事発生後に退避の機会を窺うことは非現実的であると考えられます。有事の兆候を見つけ次第、現地での経営計画や事業継続の見直しを行なったり、普段から本社との連携を確固たるものにしたり、従業員とその家族の退避についてのタイムラインの作成や図上訓練を行なったりすることが有効な対策として挙げられるでしょう。来年1月には次期台湾総統を決定する中華民国総統選挙が行われ、台湾情勢としてはまずこの点に注目が集まります。台湾に駐在している企業やその本社は、細かな現地状況をモニタリングし、事業継続や従業員らの人命の確保を視野に入れながら経営をすることが求められます。