正義とは何か日曜劇場「アンチヒーロー」が完結しました。主人公はえん罪を晴らすために殺人犯をも無罪にしてしまう弁護士。視聴者に「正義とは何か?」を問い掛ける“逆転パラドックスエンターテインメント”と謳っていただけに、ただのダークヒーローの話ではないはず。毎回どんな展開になるのかと期待しながら見ていました。どんな結末になるのか全く予想できないまま迎えた最終回は、圧巻の結末でした。「正義」についての問いかけといえば、マイケル・サンデル教授の「これから『正義』の話をしよう」を思い出します。教授のハーバード大学での科目「Justice(正義)」はNHKのEテレで「ハーバード白熱教室」として放送もされました。14年前(2010年)のことではありますが、教授が来日した際にも話題となったので本を購入された方も多いのではないでしょうか。この時にも「正義」について、それぞれがいろいろな思いを巡らせたはずです。情報漏洩なのか、公益通報なのか6月の始め、鹿児島県警を定年退職した前生活安全部長(警視正)が逮捕された事件に世間の注目が集まりました。逮捕容疑は国家公務員法の守秘義務違反。鹿児島県警の隠蔽体質を告発する文書をフリーライターに送ったことが罪に問われたのです。鹿児島簡易裁判所で開かれた勾留理由の開示請求手続きで、前部長は「私がこのような行動をしたのは、鹿児島県警職員が行った犯罪行為を、野川明輝本部長が隠蔽しようとしたことがあり、そのことが、いち警察官としてどうしても許せなかったからです」と意見陳述しました。これは情報漏洩ではなく不正を告発する「公益通報」ではないか、という議論が巻き起こったのです。この事件を詳述すると長くなるので割愛させていただきますが、そもそも発端は別の事件でした。鹿児島県警の内部文書「告訴・告発事件処理簿一覧表」が福岡のウェブメディア「ハンター」に掲載され、その捜査の過程で前部長の告発文が発見されたというものです。事の経緯は様々なメディアで報じられていますが、「ハンター」に「鹿児島県警の報道弾圧に抗議する」として詳細(「ハンター」側の視点)が時系列で整理されていますのでこちらを読んでいただくと良いかと思います。そもそも強制性交事件を組織的に隠蔽しようとしたことが始まりだとし、「告訴・告発事件処理簿一覧表」の提供も「告発文」も公益通報であると断じています。捜査手法の問題を指摘する声が多数「ハンター」は小さなウェブメディアですから、新聞やテレビなどの大手マスメディア程の影響力はないかもしれませんが、逆に、警察記者クラブにも属さないのでしがらみや忖度のない報道が可能です。今回の「ハンター」への強制捜査は、ロシアや中国で行われている反体制報道を押さえ込みメディアを潰してきた行為と重なります。鹿児島県警の「ハンター」への強制捜査や、押収したパソコンなどから無断でデータを削除(証拠の隠滅)したり情報提供元の開示を求めたりという行為については、新聞社・テレビ・ラジオなどの報道機関やジャーナリスト、有識者らから「報道の自由」の侵害だと批判を浴びています。鹿児島県警もこのような捜査手法が発覚すれば、週刊誌やウェブメディアの報道をきっかけに記者クラブに属する既存メディアからも批判されることは予想できたはずです。鹿児島県警には21年前にも内部告発でえん罪が明らかになった「志布志事件」という前例があったのですから。鹿児島県警の今回の事件を取り上げた6月15日放送のTBS報道特集では志布志事件弁護団の野平弁護士が、この「志布志事件」の内部告発に関わった警察官が後に冷や飯を食わされ、その先輩達を見てきた後輩は声を上げにくい体質になったのではないか、と指摘していました。トップからの号令かそういう隠蔽体質の風土だったのか、あるいはそのどちらもだったのでしょうか。絶対に内部告発などさせてはならない、あってはならないという空気があったのでしょう。いずれにしても鹿児島県警にとっては組織を守るための隠蔽が「正義」だったのでしょう。内部告発を後押しするのは「正義感」強制性交事件に端を発する鹿児島県警を巻き込んだ事件の捜査はまだ道半ばです。一連の報道や「ハンター」の抗議文に書かれた経緯を読む限りでは鹿児島県警の隠蔽体質は疑いようのないものに思えますが、このコラムは鹿児島県警に隠蔽があったかどうかを検証する場ではありません。鹿児島県警の前部長と同様、退職した元従業員の内部告発が端緒となって大きな問題となった例として、串カツ田中のハラスメント告発やビッグモーターの不正車検・不正整備を動画で告発した事案などをこのコラムでも取り上げてきました。内部告発をする人にはその人の「正義感」があり、それに突き動かされての行動です。一方で告発される側の組織には組織なりの「正義」があります。その組織に属している間は求められる「正義」に反発しながらも従わざるを得ません。しかし、組織を外れた途端に自分の内に秘め、くすぶっていたその正義感に駆られた行動に出るのです。組織が信じる「正義」は果たして?事件当時のビッグモーターと(鹿児島県警など多くの)官僚組織は、上司の命令は絶対という同じような体質です。昭和を引きずったままの「古い共同体意識」や「古い価値観」、「封建的な意識」などが根付いています。このような体質の企業・組織は今でも多く存在します。このコラムを読んでいるあなたの会社もそうかもしれません。また、別な価値観の「正義」(売り上げ・利益・票・視聴率…こそが正義など)を共有している会社や組織もあるでしょう。しかし、その「正義」は一歩組織の外に出ても「正義」たり得るのか?人の道からはずれていないか?といった問いかけが今必要です。個人がネットで簡単に不満の声を上げられる不寛容な時代。ネットでの炎上も、それぞれの正義感を振り回すノイジー・マイノリティといわれる声の大きな少数者によるものが発端となることがあります。声を上げないサイレント・マジョリティよりも、声を上げる者とそれを支持する声の大きな少数者の同調圧力が周囲を巻き込んで、あたかもそれが多数派の声のように報じられることもあります。冒頭で触れたドラマ「アンチヒーロー」も、「正義」について問いかけています。マイケル・サンデル教授も指摘しているように「正義」は白か黒かで2分できない、正解のない哲学の領域。多様性の時代、「正義」もひとそれぞれで多様なのです。内部告発をされるような不正や不祥事を許さない、隠蔽しないのはもちろん、ダイバーシティ(多様性)への取り組み、個人の価値観の尊重といった令和で求められる組織正義のあり方について振り返ってみる必要があるでしょう。