渓流が禁漁になってからの楽しみと言えば映画です。かつては時間があれば観る映画を決めずシネコンに行き、最初に始まる映画を観るなんていうこともしていました。しかしコロナ禍で完全リモートに移行し、映画館が遠くなりました。それ以来、映画館で見る回数はすっかり減り、もっぱらネット配信で映画を楽しんでいます。2025年も数は少ないものの劇場で観た映画はあります。そのうちの1本は日本の実写映画の興行記録を22年ぶりに塗り替えた『国宝』です。監督でさえ予想しなかったヒット流行語大賞にもノミネートされたこの作品について、ここでそのストーリーや感想を書き連ねるのは野暮というものですし、本コラムの趣旨とも離れますので横に置いておきます。大切なのは、何故これほどの評判を呼び多くの来場者に繋がったのかです。この作品で李相日監督には日経エンタテインメント!「ヒットメーカー・オブ・ザ・イヤー2025」の「大賞」が授与されました。日経クロストレンドに掲載された李相日監督へのインタビューでは、監督の興味深い発言から始まります。(大ヒットについて)いや、まさか、ですよ(笑)。ここまでの結果を予想していた人は、関わった我々も含めて、誰もいなかったんじゃないかな。そもそも、歌舞伎を題材にしたことで、敷居が高い印象を持たれかねない。さらに約3時間の映画が興行的に有利とは言えない。でも、いざ蓋を開けてみると、オセロが黒から白に変わるように、不利と思われる点が鮮やかに反転して、逆に武器になっていった。驚くと同時に、アドレナリンが出るような興奮を覚えました。ヒットを後押ししたのは吉沢亮、横浜流星のファンこの予想を覆した原動力について、原作の吉田修一氏は朝日新聞のインタビューで以下のように答えています。公開からまもないころに一番すごいなと思ったのは、吉沢君と横浜君のファンの人たち。なんて力強いんだって思ったんですよ。ぶっちゃけ言うと公開1週目ってちょっと物足りないって、プロデューサーが言ってたんですよ。――初週の観客動員数は1位じゃなくて3位スタート。2週目は2位でした。僕はそんな気にしてなかったんですが、映画の感想を見るじゃないですか。そのときに、吉沢君や横浜君の熱心なファンの人たちの熱を体感したんですよ。すごくストレートな言葉だったし。うそがなかったし。こんな感想を言われたら、みんなが観たくなるなと思った。車でも何でもそうですけど、動き出す時が一番大変じゃないですか。一番力がいる。最初のトルク感といったものを出したのは、二人のファンの人たちなんじゃないかな。グーッと押してくれて、そこから転がり始めた。朝日新聞は6月1日から9月7日までの『国宝』に関するXでの投稿のうち、ユーザーローカル社が無作為に抽出した31万5006件を分析。記事によると、全投稿の中で「吉沢」か「横浜」が含まれるものが32.2%を占め、「吉沢さん、横浜さんの演技が多くの観客に好まれたり、2人のファンが熱心に投稿したりしたことがうかがえる」としています。投稿数のピークは2週目の日曜日で、『国宝』の存在が公開から1週間ほどかけて、徐々にXの中で広まっていった可能性があるとも指摘しています。ヒットが約束されていたはずの『果てしなきスカーレット』だったが一方で、公開前から日本テレビが全面的にバックアップした大規模なプロモーションが展開されていたにもかかわらず、結果として厳しいスタートとなったのが細田守監督の「果てしなきスカーレット」です。国宝の初週と同じ3位でスタートしたものの公開2週目でランキングTOP10から消えてしまいました。ここで注意すべきなのは、作品の完成度や作家性の問題ではなく、公開初週にSNS上でどのような言葉が可視化され、どのような空気が形成されたかという点です。公開直後のSNSでは、皮肉にも、国宝の脚本を担当したのが細田監督の過去の4つの作品で脚本に参加した奥寺佐渡子氏ということもあり、作品を実際に鑑賞した感想と、そうでない反応が混在し、評価の軸が定まりにくい状況が生まれました。その結果、議論が作品そのものよりも周辺的な話題へ拡散していった印象があります。それでも時間の経過とともに、良くも悪くも映画を観た人の素直な感想・評価が大勢を占めるようになってきました。 SNSの時代だからこそ打つ手もあった映画の滑り出しにおいて、『国宝』と『果てしなきスカーレット』のSNSでの「熱」の違いがその後の動員に大きく影響したと考えられます。『国宝』は主演二人のファンに加え、吉田修一氏の原作小説のファンもいます。一方の『果てしなきスカーレット』は細田監督のオリジナル脚本のため、公開前にテレビで流された予告編やCMでしか情報がありません。プロモーションは日本テレビを中心にマスメディアを活用する旧来の手法で展開されました。読売新聞では、細田監督が作品に込めた思いや着想の背景について語っていますが、アニメクラスターには届きません。伝わる世界観が、これまでの細田作品に親しんだファンからすると大きく路線変更したように見えたことも、出足を鈍らせた要因かもしれません。そのため、SNSへの投稿も熱を持ったファンのものではなく、冷めた批判からスタートすることになったのでしょう。しかし、このスタート時、あるいは予告やプロモーションをスタートした時点にこのことに気付いていれば、あるいは問題と感じて手を打っていれば変わっていた可能性があります。2ちゃんねるを始めとした匿名掲示板が全盛の頃、「荒らし」を目的とした投稿が多く見られました。掲示板では、1つのテーマで1スレッドが基本、一つのかたまりでした。スレッドが立つと一方的な批判や誹謗中傷などで空気を荒らし、スレッドの参加者は徐々に脱落して下火になっていきます。「荒らし」は次のターゲットを求めてスレッドを徘徊するのです。『果てしなきスカーレット』の公開前後のSNSでの空気はあの頃のネット掲示板の空気にも似ていました。しかし、匿名掲示板でも、荒れない掲示板もありました。参加ルールが明確で時には管理人が介入して荒らしをうまくコントロールするような掲示板です。今回の『果てしなきスカーレット』のSNSでの評価に関しても、公式アカウントを立てて早い時期からコミュニケーションを取り、情報提供するなどしていれば変わっていたのではないかと思うのです。舞台が日本ではなく中世の西洋であったり、ハムレットを下敷きにしていたり、ヴェネチア国際映画祭やトロント国際映画祭、ニューヨーク映画祭に招待されるなど、細田監督は日本のマーケットを飛び越え西洋(キリスト教圏)をターゲットにしているのではないかと、私は勝手に思ったりもします。仮に本作が海外市場を強く意識した作品であったとしても、日本国内での評価や興行を軽視できるわけではありません。だからこそ、制作側ではなく配給会社が主体となり、公開前後の段階からSNS上での情報設計や対話の場づくりに関与する余地があったのではないかと感じます。SNSの時代において、初動の空気は自然発生に任せるものではなく、リスクとして設計・管理すべき対象になっています。